今回は、過去の自分の悩みを解消するような記事として、自己肯定感が低い人への生き方のアドバイスを書いてみたいと思います。
結論から言うと、食にこだわると自分の人生に軸ができ、それに引っ張られて他の物事も良い方向へ進むのではないかということです。
この記事は、こんな方に読んでほしいです。
- 自分の人生に生きる理由を見つけられない
- 他人に流されてばかりいる気がする
- 自分のやりたいことができない
- 自分が何をしたいのかわからない
かつての僕が悩んでいたことを、今の自分には解決できているように思えています。
それがもし他の方にも役に立てば、と思い、形にしてみたいと思います。
自己肯定感が低くなる理由は自分で選ぶことができないから
そもそもなぜ「自分はダメだ」や、「自分の生きる理由がない」という思考に支配されてしまうのでしょうか。
僕はその一つの答えとして、
自分で物事を決めているかどうか
が関係しているのではないかと感じています。
もちろん、これが全ての答えと言うつもりはありませんが、一方でこれができれば、ある程度自己肯定感は上げることができると考えています。
そもそも自己肯定感とは、
自己肯定感とは、その言葉の通り「ありのままの自分を肯定する感覚」のことです。他者と比較することなく、自分自身が「今の自分」を認め尊重することで生まれる感覚であり、物事を前に進めるための原動力となります。
グロービスより
と解説しているところもありますが、これは言い換えると「自分の選んだこと、決めたこと、したことを尊重でき、それを後悔しないこと」でもあります。
ありのままの自分を肯定する、とは、「これでいいんだ」と言える、ということではないでしょうか。
もちろん、これは自己肯定感が強すぎると成長を阻害します。(何にでも”これくらいでいいか”となって、成果に対するこだわりが低くなったり、成長をする痛みや手間を取らなくなります。)
ほどよい自己肯定感こそ、「今のままでいいんだ」がベースとなって、「でも、もっとこうなりたい!」という前向きな原動力に変換できるのではないでしょうか。
しかし、僕は過去の経験から、他人に決められたこと、指示されたことをして失敗したとしても「これで良かった」と納得できたことは一度もありません。
おそらく、そこには「本当にこれでいいのかな?」や「別の方法があるのでは?」という疑問がどこかにあったからだと、今になって思います。
それで失敗したとすると、他人(分かりやすいのは上司など)どころか自分すらも「ほら、やっぱり違ったじゃないか」という感覚になりますよね。
自己肯定感が低い状態、つまり”自分で自分を責めてしまう状態”というのは、自分の頭と心の状態が一致していないことに原因があるのではないでしょうか?
なぜ頭と心の状態が一致しなくなってしまうのか。
その理由こそ、自分で物事を決めておらず、自分でしたことの責任を自分でも取れないから、です。
”自分の人生”とは、自分が自由に使える”時間”とその”使い方”のこと
少し漠然とした話になりますが、あなたは「自分の人生」って何だと思いますか?(また怪しいテイストになってしまいましたが、、、)
自己肯定感が低い人の特徴として、「自分の生きる意味や目的がわからない」という感情があるのでは、とリード文でも書きました。
この「生きる意味」や「目的」こそ、自己肯定感が低い人を苦しめる1つの問題です。
- あの人は趣味に没頭していて楽しそうだけど、自分にそんな趣味はない…
- あの人は仕事を楽しそうにしているけど、自分は辛い…
- あの人はいつも友達といるけど、自分には友達がいない…
ここでも、やはり他人と比較して辛くなっていますよね。
僕が自分の思考を整理していて気づいたのは、
自分の生きる意味や人生の目的なんてない
ということです。
自分の人生、あなたの人生とは、
あなたが何に時間をこれまで使ってきたか、今使うか、この先使いたいか
です。
現時点で自分を分析して、「自分の人生はこうです」と表現(自己紹介)するとしましょう。
あなたは何を表現しますか?
職業、学歴、出身、学生時代の部活、これまであった1番嬉しかったこと、悲しかったこと、辛かったこと、今の趣味・好きなことなどなど。
自分がやっていない、経験していないことを”自分”として、他人に紹介することはないですよね?
これは、未来に対しても同じ考え方ができます。
例えば、歳をとって、病院のベッドで人生が終わる直前、「私の人生はこんなだったなぁ」と思い返すとして。
やっぱり思い返すのは、自分がやってきたことですよね?
つまり、人生の目的や意味、なんて難しいことを考えるのではなく、あなたが考えるべきは
今、何に時間を使いたいか
なのです。
それの積み重ねがあなたの人生であり、その”何に時間を使いたいか”こそが人生の目的となるのです。
問題は”時間”の中身
しかし、現代に生きていると、自分の時間をすべてやりたいことだけに使える、という訳ではないですよね。
もっと言うと、あなたが何に時間を使うか、とは言っても、寝てる時間やトイレの時間すらあなたの人生です!なんて言われてもピンと来ないですよね。
つまり、先ほどの自分の人生の定義をもっと突き詰めると、
自分が自由に使える時間を”人生”と言う
ということができるのではないでしょうか。
人間には、24時間しかありません。こればっかりは富裕層にも、所得が少ない方にも平等であるものの1つです。
ここからやらなければいけないことを引き算して、残った時間があなたの人生だと言えます。
自己肯定感が低い方は、おそらく
自由に使える時間が少ない
もしくは、
何に時間を使えばいいかわからない
のどちらかに原因があるのではないでしょうか。
ちなみに、僕は両方でした。
外回りの営業だったので、仕事中の空き時間はちょこちょこあるものの、拘束時間自体はとても長くて、入社1年目は朝7時〜夜10時が勤務時間でした。
家でできることなんて、朝の仕事の準備と夜寝る準備くらいでした。
外回りをしているときは30分など、空く時間はあったのですが、その時間を有効活用できる訳でもなく、昼寝をしたり、スマホゲーをしたりして”消化”していました。
そしてふと気づくと、自分の人生に何も蓄積されていない感覚に陥ったのです。
スマホゲーも飽きてアプリを消したら何も残らないですからね。
自己肯定感を支える”自信”に繋がるのは、何かに活かせる”積み重ね”
自分のことを振り返ると、自己肯定感を作るために重要なことは、実際に何かに活かせる自分の中での積み重ねを作っていくこと、だと思います。
その積み重ねを作るために、自分の自由な時間を作ることが大切、ということです。
僕の自己肯定感が低い原因の最も大きなものは、この積み重ねがない、自分で感じられないという「カラッポ感」でした。
自分の中に、何か”蓄積されている”という実感さえあれば、「生きる理由が見つからない」という感覚にはならないのでは、と思うのです。
僕は、仕事を通じても”何かが自分に経験として蓄積されている”という感覚を得られませんでした。
その上、プライベートな時間も漫然と使っていた訳です。どれだけ漫然と使っていたか、についてはこちらに書いています。悪い意味で、お金の使い方を色々と学びましたね。
しかし、決していわゆる「意識高い系」の積み重ねだけが良いものだ、と言いたい訳ではありません。
それこそ、”ゲームが好き”ということも、例えばブログにやってみた感想を書けたり、友達やSNSで紹介できるような関わり方をすれば、立派な積み重ねになると思います。
積み重ねになるかどうかの線引きは、
消費してしまうか、自分の中に何かを残せるか
ではないでしょうか。自分の中に何かを残せなければ、アウトプットすることもできませんよね。
積み重ねるのは楽じゃない
1つだけ気をつけなければいけないのは、そうやって積み重ねるのは決して楽ではない、ということです。
残念ながら、ここは簡単に何かが解決する訳ではない、ということです。
むしろ、大変なことを積み上げるからこそ、自信に繋がる、とも言えます。
確かに、この積み上げが大変だと感じず、言ってしまえば”自然に”努力できるタイプの人も存在しますが、そうでない場合は続けられることを続けられる範囲で積み上げていくしかありません。
積み重ねたものを活用できれば急激に変わる
自己肯定感を持つ次のステップとして、積み重ねたものをしっかりと実生活で活用していく、ということも大事です。
例え経験や知識が蓄積されていても、それが活用できなければ、やはり”なにもない”のと同じになってしまうからです。
この時に考えるべきは、
自分が積み重ねてきたものが活かせる場所で戦うか
仕事など、自分がそこにいなければいけない場所で活用できる積み重ねを身につけるか
のどちらにするか、ということです。
ここまで来ると、おそらくかつて悩んでいた自分とは”違う”ということが実感できると思います。
身につけたことをアウトプットして、そこからまた学びがあって、、、
という、良い循環に入っていくのではないでしょうか。
また、積み重ねがあれば、物事の判断基準もかなり明確になっていくので、「自分で決める」ことができる回数も多くなると思います。
自己肯定感の高い人の特徴に、まさに自分が当てはまっている状態であると言えます。
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